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福井地方裁判所 昭和54年(ワ)126号 判決

原告

株式会社福井新聞社

右代表者代表取締役

谷口宇内

右訴訟代理人弁護士

吉田耕三

佐伯仁

被告

藤田虎男

被告

坂井豊

右両名訴訟代理人弁護士

金井和夫

右訴訟復代理人弁護士

玄津辰弥

主文

一  被告藤田虎男は、原告に対し、金四四九万八〇〇〇円及びこれに対する昭和五四年六月二一日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

二  被告坂井豊は、原告に対し、金三七六万七五〇〇円及びこれに対する昭和五四年六月二二日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

三  訴訟費用は、被告らの負担とする。

四  この判決は、仮に執行することができる。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨(原告)

1  主文同旨

2  仮執行の宣言

二  請求の趣旨に対する答弁(被告ら)

1  原告の各請求を棄却する。

2  訴訟費用は、原告の負担とする。

第二当事者の主張

一  請求の原因(原告)

1  当事者

(一) 原告は、時事に関する事項を掲載する日刊新聞紙の発行を目的として明治三二年二月一一日、設立され、昭和五四年当時の発行済株式は四一八万株(資本金二億〇九〇〇万円)で、肩書地に本店を、福井県敦賀市に嶺南本社を、同県内各地及び東京・大阪・名古屋・金沢にそれぞれ支社を設置している株式会社であって、地方紙である「福井新聞」を福井市を中心に発行している者である。

(二)(1) 被告藤田虎男(以下「被告藤田」という。)は、昭和二七年四月七日、原告に入社し、その後、原告嶺南本社代表の地位にあった昭和五一年七月二八日、退職して、同年九月一日、後記株式会社日刊福井(以下「日刊福井」という。)に入社した者である。

(2) 被告坂井豊(以下「被告坂井」という。)は、昭和三一年四月一六日、原告に入社し、原告大野支社編集部長であった昭和五一年八月二六日、退職して、同年九月一日、日刊福井へ入社した者である。

2  被告らへの退職一時金の支給

原告は、被告藤田の「家事の都合」、同坂井の「一身上の都合」等を理由とする退職申出を承認し、原告退職一時金規定第二条3号に基づき、被告藤田に対し、昭和五一年七月二八日、退職一時金四四九万八〇〇〇円を、被告坂井に対し、同年九月三〇日、退職一時金三七六万七五〇〇円をそれぞれ支給した。

3  被告らの退職の実態及びその後の状況

(一) 日刊福井の設立

日刊福井は、昭和五一年八月三〇日、熊谷太三郎(以下「熊谷」という。)、原告の元常務取締役であった前田将男(以下「前田」という。)、市橋光雄(以下「市橋」という。)らによって設立された株式会社であり、同社は原告と同じく福井市に本店を置き、時事に関する事項を掲載する日刊新聞紙の発行を営むこと等を目的とする者である。

(二) 原告従業員の大量引き抜き

日刊福井は、福井新聞労働組合(以下「労働組合」という。)への対処方針に反対して、昭和五〇年三月三一日に原告を退職した前田及び市橋の両名を代表取締役とすると共に、同社の幹部要員として、被告らの外、原告嶺南本社編集部長であった矢野静也(以下「矢野」という。)、原告編集局整理部長であった宮崎義明(以下「宮崎」という。)、原告論説委員であった坪川常春(以下「坪川」という。)、原告武生支社記者であった夏野宣秀(以下「夏野」という、そして、右矢野以下四名を「矢野ら四名の退職者」という。)らを引き抜いて、いずれも昭和五一年九月一日、同社へ入社させ、続いて、原告の編集・印刷・営業という中枢部門で稼働する従業員を、昭和五二年二月九日までに、大量かつ組織的に引き抜いて同社へ入社させた。

右の日刊福井へ引き抜かれた原告の従業員は、別表(略)のとおり被告らを含めて三八名におよび、それは、原告の当時の従業員数約二九〇名の一三パーセントに該当し、また右三八名の平均勤続年数は一八年、平均年齢は四〇歳であって、最高幹部から管理職中堅クラスに集中していた。

(三) 原告の業務の著しい障害

昭和五一年当時、福井県の人口は約七七万人、世帯数は約二〇万であって、原告が発行する福井新聞約一二万部の外、中央紙の朝日・毎日・読売等、合計約二一万部の新聞が同県内において購読されていたため、地方紙の発刊を目的とする新聞社二社が同県内で共存することは一般に不可能という状況にあったところ、被告らは、先に原告を退いた前田及び市橋の外、矢野ら四名の退職者と共謀して、日刊福井の事業に参画して、右原告従業員の大量引き抜きを行い、原告の企業破壊、ひいては倒産を図ったものである。

右大量引き抜きは、原告発行の福井新聞昭和五二年度新年号の製作のため、最も人手を必要とする時期に行われ、日々発行される新聞製作さえも麻痺しかねないという原告の業務に著しい障害を生じ、倒産の危険性も発生したが、原告は、残った従業員による兼職や、従来の現業の三勤一休の勤務ローテーションを四勤一休へ変更する等の労働強化への協力、福井新聞の増ページの実施、莫大な販売費の投入等によって、これを回避した。

4  被告らの不当利得

被告らは、前記のとおり、前田、市橋の外、矢野ら四名の退職者と共謀して、原告の企業破壊の意図を秘して退職し、同種営業を目的とする日刊福井の幹部となり、他の原告従業員を計画的かつ大量に引き抜いて原告を倒産寸前の経営危機の状態に至らしめたもの、であって、右被告らの行為は、退職一時金の不支給を定めた原告の退職一時金規定第三条3号(「社の都合をかえりみず退職し、会社の業務に著しく障害を与えたとき」、以下「本件不支給規定」という。)に該当し、被告らは、本来、退職一時金の支給を受ける資格がないものであった。

しかるに、被告らは、退職申出に際して、原告に対し、真実の退職理由を秘して、被告藤田は「家事の都合」、被告坂井は「一身上の都合」と申し向けて、原告から、前記退職一時金の支給をそれぞれ受けて、不当に利得し、原告に右退職一時金相当額の損失をそれぞれ与えたものである。

よって、原告は、不当利得返還請求権に基づき、被告藤田に対し、金四四九万八〇〇〇円及びこれに対する訴状送達の日の翌日である昭和五四年六月二一日から支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の、被告坂井に対し、金三七六万七五〇〇円及びこれに対する訴状送達の日の翌日である同月二二日から支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払をそれぞれ求める。

二  請求の原因に対する認否(被告ら)

1  請求の原因1(当事者)及び同2(被告らへの退職一時金の支給)の各事実は認める。

2  請求の原因3(被告らの退職の実態とその後の状況)について

(一) 同3(一)(日刊福井の設立)の事実は認める。

(二) 同3(二)(原告従業員の大量引き抜き)の事実について

〈1〉前田及び市橋が日刊福井の代表取締役となったこと、〈2〉被告らの外、矢野ら四名の退職者並びに宮下鎮馬、朝倉一二、有馬公明、山口慶一、長尾喜永、山口幸夫が日刊福井へ入社したこと、〈3〉右〈2〉記載の者らの原告における地位、〈4〉被告ら及び矢野ら四名の退職者の日刊福井への入社日が昭和五一年九月一日であることは認め、その余の点は否認する。

(三) 同3(三)(原告の業務の著しい障害)の事実は否認する。

3  請求の原因4(被告らの不当利得)の事実について

本件不支給規定の存在、被告らが退職申出の際、原告主張の退職事由を告知したこと及び被告らが退職一時金の支給を受けたことは認め、その余の点は否認する。

三  被告らの主張

被告らは、互いに或は、他の矢野ら四名の退職者と意を通じあって退職したものではないうえ、原告は、被告らの退職によって何ら業務に障害を受けていないのであるから、被告らの退職を本件不支給規定に該当するということはできない。

すなわち、被告らの退職それ自体がその時点において、本件不支給規定に該当するか否かを判断すべきところ、原告は、被告らの退職申出に対し、一言の慰留もなく、退職を承認していることに照らしても、被告らの退職が、原告の業務に障害を与えるものでないことは明らかであって、仮に、退職後、被告らが原告従業員の大量引き抜きに関与したとしても、それは、退職金の問題とは全く別個の債務不履行又は、不法行為に基づく損害賠償の問題として処理すべきものである。

また、被告らを含む原告の従業員の退職が、原告の新聞の販売部数や営業収入には何の影響も与えなかったこと、原告は、右退職従業員の補充を行っていないことに照らしても、右従業員の退職によって、業務に著しい障害が生じたとする原告の主張は、失当である。

四  被告らの主張に対する原告の認否及び反論

1  被告らの主張中、原告が、退職従業員の補充をしていないことは認め、その余の点は争う。

2(一)  原告の発行する福井新聞の販売部数が減少せず、また、形のうえで赤字決算にならなかったのは、原告の労使一体の努力と新聞購読者をつなぎ止めるための金一億五〇〇〇万円を超える販売費の追加投入のためである。

すなわち、原告は、前記大量退職がなされた昭和五一年度(昭和五一年四月一日から昭和五二年三月三一日まで)においては、福井新聞の販売部数の減少をくい止めるため、昭和五〇年度に比して金九九九四万〇一四七円増加した金一億九一二五万八八一一円の販売費を支出し、更に昭和五二年度においても、日刊福井の販売攻勢を防ぐため昭和五〇年度に比して金五九二七万六二〇八円増加した金一億五〇五九万四八七二円の販売費の支出を余儀なくされた。

(二)  そして、昭和五一年度及び昭和五二年度において右の支出増があったにもかかわらず、右各年度が黒字決算となったのは、昭和五一年度(原告八五期営業年度)の決算においては、価額変動準備金戻入益として金九五〇万円を計上することによって金四二九五万四八〇四円の当期利益を、昭和五二年度(原告八六期営業年度)の決算においては、価額変動準備金戻入益として金二五〇万円、設備改善引当金戻入益として金二五〇〇万円の合計金二七五〇万円を計上することによって金三四一八万七六七九円の当期利益をそれぞれ算出しているためである。

右のとおり価額変動準備金や設備改善引当金を特別利益として計上した結果、昭和五〇年度(原告八四期営業年度)においては、価額変動準備金九五〇万円、設備改善引当金一億円(合計金一億〇九五〇万円)であったのが、昭和五一年度及び昭和五二年度の二期で合計金三二〇〇万円減少し、右金額相当の原告の実質資本が減少したこととなって、設備改善の遅延等、原告の業務に著しい損害を与えた。

(三)  更に、原告が、日刊福井に引き抜かれた従業員の補充をしなかったのは、本来、堪能な新聞労働者は各企業において長年月かけて養成されるものであって、代わりの者を一般労働市場から求めることが不可能であったからである。

第三証拠

証拠関係は、本件記録中の書証目録及び証人等目録記載のとおりである。

理由

一  請求の原因1(当事者)及び同2(被告らへの退職一時金の支給)の各事実は、当事者間に争いがない。

二  次に、請求の原因3(被告らの退職の実態及びその後の状況)について検討する。

1  同3(一)(日刊福井の設立)の事実並びに同3(二)の事実中の〈1〉前田及び市橋が日刊福井の代表取締役に就任したこと、〈2〉被告らの外、矢野ら四名の退職者並びに宮下鎮馬、朝倉一二、有馬公明、山口慶一、長尾喜永、山口幸夫が日刊福井へ入社したこと、〈3〉右の者らの原告における地位及び〈4〉被告らと矢野ら四名の退職者の日刊福井への入社日が昭和五一年九月一日であることは当事者間に争いがない。

2  右1及び前記一の争いのない事実に加え、(証拠略)を総合すれば次の事実が認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない(なお、右証拠中、後記認定に反する部分は、他の証拠に照らし、措信しない。)。

(一)  原告においては、昭和四〇年ころから激烈な労使紛争が続き、昭和四八年七月に原告の労使間で全面解決協定が締結されたが、必ずしも労使関係は円満ではなく、労働組合の活動は、活発であった。また、右労使紛争の過程で生じた従業員の賃金格差の是正を理由として、昭和四九年の年末のボーナスは、学歴、勤続年数、経験、能力等は考慮せずに各従業員に対し、一律の金員に年齢を加算して支給するという異例の措置が採られたところ、右措置を直接の契機として、原告の労働組合に対する方針に反対する原告の常務取締役であった前田及び市橋は昭和五〇年三月三一日、退職した。

(二)  前田は、遅くとも昭和五一年春ころから、熊谷太三郎らの援助を得て、福井県内における日刊紙の発行の準備に着手した。そして、同年五月ないし六月ころ、前田は、右日刊紙発行の際の協力方を、かつての部下であった被告藤田、坪川、矢野らに要請した。

(三)  被告藤田(大正一五年一〇月二一日生、退職当時五〇才で、月額約金二七万円の給与を支給され、妻子及び母を扶養していた。)は、昭和五一年七月中旬、原告に対し、家事の都合を理由として退職を申し出たところ、当時の原告の取締役兼総務局長であった森永究は、軽はずみなことは考えるなと退職を慰留したが被告藤田は応じなかった。そして、右退職の申し出は同月二八日、承認され、被告藤田は、同日、退職一時金四四九万八〇〇〇円を受領した。

(四)  被告坂井(昭和七年五月三〇日生、退職当時四四才で、月額約金二二万円の給与を支給され、妻と二女を扶養していた。)は、原告に対し、昭和五一年八月二六日、一身上の都合を理由として退職を申し出たところ、同被告の勤務する原告大野支社の支社長細川玖治は「これからの生活をどうするのだ、短気を起こさずしばらく辛抱したらどうか」と引き留めたが、被告坂井は応ぜず、結局、同日退職が承認された。

また、矢野及び宮崎は、同月二〇日、坪川及び夏野は、同月二六日にいずれも一身上の都合を理由として原告を退職した。

(五)  前田は、昭和五一年八月二日、個人で「日刊福井」の商号登記を行い、続いて、同月三〇日、原告と同業の時事に関する事項を掲載する日刊新聞紙の発行を主目的とする日刊福井が設立され、その代表取締役には、熊谷、前田及び市橋が就任した。

そして、被告ら及び矢野ら四名の退職者は、日刊福井へ、同年九月一日に入社し、同社の幹部職員として、日刊紙発行業務開始に向けて活動を始めた(右の者らはその後、別表の「日刊福井における地位」欄記載のとおりの要職についた。)。

原告は、被告ら及び矢野ら四名の退職者が日刊福井へ入社するのではないかとの風評を耳にし、被告坂井や右の矢野ら四名の退職者に対し、同月二日付で、退職の詳細な理由の告知や、同業他社への就職を予約、契約をしたため退職した場合は原告が法的処置を採っても異議ない旨の誓約を求めることを内容(右誓約をしない場合は、本件不支給規定により退職一時金が支給されないことがある旨も記載されていた。)とする退職一時金支給に関する調査表を送付した。

これに対し、被告坂井は、同年九月七日付で右調査表に、退職の理由として、「勤続二〇年を期に後半の人生の転身を計りたい」と記載し、更に前記誓約をする旨の記入をして返送した。また、矢野ら四名の退職者も、そのころ、退職の理由は同業他社に就職を予約したためではなく、前記誓約も行う旨の記載をして調査表を原告に返送した。そこで、原告は、被告坂井に対し、昭和五一年九月三〇日、退職一時金三七六万七五〇〇円を支給した。

(六)  被告ら及び矢野ら四名の退職者に続いてその後、昭和五一年九月から、昭和五二年二月にかけて、別表のとおり、原告の従業員三二名が退職して日刊福井へ入社し、結局、原告の従業員で日刊福井へ入社した者は被告らを含めて三八名の多数にのぼり、右退職従業員の多くの者が日刊福井の幹部職員の地位についた(日刊福井の一〇〇名前後の従業員の内、部長職以上の幹部職員二五名は、昭和五四年以前は、前記原告の退職従業員で占められていた。)。

右大量引き抜きに際して、少なくとも、前田、被告藤田、夏野、坪川、被告藤田の長男で原告の元従業員であった藤田正人、皆上秀行らは、直接右引き抜きの勧誘を行い、前記退職者以外にも多くの原告の従業員が日刊福井への入社の勧誘を受けた。

(七)  右三八名の退職者は、当時の原告の全従業員約二九〇名の一三パーセントに該当し、編集部門の整理、校閲及び連絡、印刷部門の印刷、営業部門の広告第一及び販売並びに嶺南本社及び各支社などの原告の中心部をなす部門の最高幹部から中堅クラスに集中していたのみならず、更に、右大量引き抜きが、原告の最繁忙期である原告発行の福井新聞新年号の作成準備期間を中心になされたことから原告は、従前の体制のままでは平常の新聞発行業務が困難な状況に陥った。

そこで原告は、前記大量引き抜きの穴を埋めてその業務を遂行するため、残った従業員に対し、兼職や、交代制の職場における勤務体制を三勤一公休日制を四勤一公休日制に変更する等の措置をとることを余儀なくされた(後記認定のとおり新聞社の従業員の育成には年月がかかり、代わりの者を一般労働市場から直ちに集めるのは困難であった。)が、原告の右従業員らは、これに応じ、労使協力して、福井新聞の増ページ等に取り組んだ。

(八)  更に、原告は、新聞購読者をつなぎ止めるため、後には、日刊福井の販売攻勢に対抗するため次のような支出を行った。

すなわち、原告は、前記大量退職がなされた昭和五一年度(昭和五一年四月一日から昭和五二年三月三一日まで)においては、福井新聞の販売部数の減少をくい止めるため、昭和五〇年度(昭和五〇年四月一日から昭和五一年三月三一日まで)に比して金九九九四万〇一四七円増加した金一億九一二五万八八一一円の販売費を支出し、更に昭和五二年度(昭和五二年四月一日から昭和五三年三月三一日まで)においても、昭和五二年七月一日、創刊された日刊福井の販売攻勢を防ぐため昭和五〇年度に比して金五九二七万六二〇八円増加した金一億五〇五九万四八七二円の販売費の支出を余儀なくされた。

そして、昭和五一年度(原告八五期営業年度)の決算においては、価額変動準備金戻入益として金九五〇万円を計上することによって金四二九五万四八〇四円の当期利益を、昭和五二年度(原告八六期営業年度)の決算においては、価額変動準備金戻入益として金二五〇万円、設備改善引当金戻入益として金二五〇〇万円の合計二七五〇万円を計上することによって金三四一八万七六七九円の当期利益をそれぞれ算出したため、右各年度は、いずれも黒字決算となった。

右のとおり、価額変動準備金や設備改善引当金を特別利益として計上した結果、昭和五〇年度(原告八四期営業年度)においては、価額変動準備金九五〇万円、設備改善引当金一億円(合計金一億〇九五〇万円)であったのが、昭和五一年度及び昭和五二年度の二期で合計金三二〇〇万円減少し、右金額相当の原告の実質資本が減少した。

また、以上のような原告従業員の大量退職の後の原告の努力もあって、結局、原告発行の福井新聞は、その販売部数(約一一万部)にさしたる変動がないままであった。

(九)  なお、昭和五一年当時の福井県の人口は約七七万人、世帯数は約二〇万であって、原告発行の福井新聞約一一万部の外、全国紙の朝日、毎日、読売等合計二一万部の新聞が同県内で講読されるという状況にあったため、地方紙の発行を目的とする二つの新聞社が同県内で共存することは一般には容易でない状況にあると解されており、また、堪能な新聞社従業員の養成には時間がかかり、これを一般市場から直ちに集めることは困難であった。

3  しかして、前記認定の被告らの年齢、地位、収入、家族状況等を鑑みると、被告らが、退職後の明確な計画のないままに退職を実行することは、特段の事情がない限り、通常は考えられないものであるところ、前記認定の被告らの退職の前後にわたる諸事情、特に、被告ら及び矢野ら四名の退職者の退職の時期の近接性、原告を退職後、日刊福井へ短期間で入社していること等に照らすと、被告らが、矢野ら四名の退職者と共に、日刊福井へ入社するために原告を退職したことは明らかである。これを否定する被告ら及び分離前の共同被告らの各供述は、到底措信できない。

そして、前記認定事実を総合すると、日刊福井の業務遂行のために必要である堪能な新聞社従業員は、簡単には集められないことから、これを原告から引き抜くことを日刊福井設立前から計画されていたこと(そして、現実に原告の従業員が大量に引き抜かれたのは前記認定のとおりである。)が窺えるところ、被告らは、少なくとも、これを認識し、更に新聞社従業員として、福井県の新聞業界を取り巻く前記状況をも認識しつつ、新たに設立された同業他社である日刊福井の事業に参画し、その中心的役割を果たす目的で退職した(被告らの退職は、日刊福井の設立、日刊紙発行の業務開始の一環として行われた。)と推認するのが相当である。

三  そこで、被告らの右退職が、本件不支給規定に該当するか否かについて判断を進める。

1  (証拠略)を総合すると次の事実が認められ、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。

2(一)  原告には、当初、同業他社へ就職する目的で従業員が退職した場合に退職一時金を不支給とする旨の規定は存在しなかったところ、昭和二七年春ころ、原告を退職した元代表取締役沢村伍郎が「新福井新聞」の発行を試み、原告の従業員一七名を引き抜くという事態が生じたが、右規定不存在のため、これらの者に対して、退職一時金を支給せざるを得なかった。

そこで、昭和二八年一月一日、退職金の不支給の場合として、原告の就業規則中の退職金規定に「会社の利害に大きな関係のある他の会社(又はこれに類する法人)へ最終的に就職する目的を以て退職するとき」(第一〇条2号)との規定(以下「旧規定」という。)、すなわち、従業員に競業避止義務を課す規定が新設された。

(二)  そして、旧規定は、昭和三八年四月、本件不支給規定に改正され、更に、前記大量退職のさなかの昭和五一年一一月九日、「福井県において当社と競争関係にある同業他社へ就職するため退職したとき、または同業他社の引き抜きに応じ退職したとき」は退職一時金を支給しないとする5号規定(以下「新規定」という。)が退職一時金規定第三条の中に追加された。

(三)  なお、同日、福井労働基準監督署長宛に提出された新規定追加による就業規則の一部改正届けには、右改正は、従来の団体交渉の中で確認してきたものと相違がないのでこれに同意する旨の労働組合の意見及び同意書が添付されていた。

3  右退職一時金不支給規定の変遷の経緯及び労働組合の右同意の内容に加えて、被告ら及び矢野ら四名の退職者が、終始、真実の退職理由を秘していたのは前記認定のとおりであるところ、これは、被告ら及び矢野ら四名の退職者自身が日刊福井へ就職する目的での退職に対しては、退職一時金が支給されない虞があることを認識していたためであると解されること等を総合すれば、本件不支給規定は、旧規定及び新規定のように文理上必ずしも、明確に競業避止義務を唄ったものではないが、原告の企業防衛のための規定であって、従業員が同業他社に就職することによって、業務に著しい障害を与えるような場合をも想定した規定であり、また、新規定は、本件不支給規定の内容を注意的に具体化したものと解するのが相当である。

4  そして、被告らが、福井県の新聞業界を取り巻く厳しい状況を認識しつつ、新たに設立され、加えて、原告の従業員を大量に引き抜くことが計画されていた同業他社である日刊福井の事業に参画するために原告を退職し、その計画が実行された結果、原告の平常の新聞発行業務にも支障をきたしたことは前記認定のとおりであるところ、このような退職は、右で認定した本件不支給規定の趣旨に照らすと、正に、右規定に該当するというべきである。

5  以上のように、被告らの退職は本件不支給規定に該当し、被告らは、本来、退職一時金の支給を受ける地位になかったものであるにもかかわらず、真の退職理由を秘して、それぞれ退職一時金の支給を受け、原告に右各退職一時金相当額の損失を与え、これを不当に利得したものといわざるを得ない。

(なお、前掲各証拠によれば、被告らは労働組合の活動が活発であったため、管理職として、苦労した事実は窺えるものの、その故をもって、前記被告らの退職が、本件不支給規定に該当しないということはできない。)

四  結論

以上の次第で、被告藤田は、原告に対し、金四四九万八〇〇〇円及びこれに対する訴状送達の日の翌日であることが記録上明らかな昭和五四年六月二一日から支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金を、被告坂井は、原告に対し、金三七六万七五〇〇円及びこれに対する訴状送達の日の翌日であることが記録上明らかな同月二二日から支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金をそれぞれ支払うべき義務がある。

したがって、原告の本訴請求はいずれも理由があるからこれを認容し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九三条一項本文を、仮執行の宣言につき同法一九六条をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 横山義夫 裁判官 白石哲 裁判官園部秀穂は転補のため署名捺印できない。裁判長裁判官 横山義夫)

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